19日から6日間に渡る猫旅を終えて昨夜遅くに帰ってきた。俺が今まで経験した中で最も長い旅行だったのは1980年、中学2年生の夏休みに出かけた7日間の北海道一周旅行で、今回はそれに次ぐ長い旅程だったが、疲労度と充実度では今回の方がそれより3倍ぐらい上回っていた。今回は昔のように無人駅で寝泊まりこそしなかったものの、天気に恵まれすぎたお陰で散歩中の消耗が半端ではなく、帰国した今は夏休みを終えた少年のように日焼けして顔や腕が真っ赤になっている。
充実度の面ではたくさんの猫に会えたことはもちろん、多様性に富んだ台湾の文化や風習に触れることもできて、今までになく印象深いものになった。例えば台湾の国語といえば台湾華語、つまり台湾で標準化された中国語だが、この国ではそれ以外にもあらゆる言語が使われていて、鉄道の車内放送だけ取っても、中国語、台湾語、客家語、英語のほか、路線によってはこれにアミ語が加わったりもする。九州ほどの面積の小さな国でありながら、いくつもの民族が異なる文化や風習を持ち、街は独自の意匠で飾られていて、それらを数日間で渡り歩くという経験は過去に例のないことだった。
今日から仕事に復帰しているので細かなところまで書く余裕がない。個々のエピソードは連載中に少しずつ紹介していくが、今日の写真からすでに台湾の多様性を感じることができると思う。1匹目は台湾に入国してすぐに散歩した台北捷運・文湖線の六張犁駅近くで見かけたキジ白。ここは2019年9月の猫旅でも訪れた場所だ。
この日(3月19日)、いつもの中華航空223便で台北松山空港に降り立ち、13:30発の金門行きに乗り継ぐまでの約1時間が最初の散歩。コロナで3年半近くもお預けを食った台湾猫旅なので、まずは空港から近くて実績のあるコースで景気づけするつもりだったが、あいにく見かけたのは1匹だけだった。
でもこの子はとても人懐っこい子。常にくっついて回るのでなかなか写真が撮れない。
あとで確認したら2019年9月にも会った子だった。歴史に残る世界的パンデミックを乗り越えて再会を果たした俺たち。
2匹目の猫に遭遇したのは台北のキジ白から3時間半後。地面で寛いでいるのはキジトラかな。
この子の毛色は本当に微妙だけど、前足や尻尾の縞模様が完全な黒なのに対して、胴体の縞模様が赤茶色なので、二毛なのではないかなーと思う。明確なレッドが見当たらないので確実ではないけれど……。
台北松山空港から飛んできたのは、台湾本土から遠く離れた金門県の金沙鎮(鎮は日本における町に相当)。ここには福建文化を象徴する閩南建築が数多く残されていて、日本統治時代から都市化が進められた台北とは街の雰囲気がまるで異なる。この地で暮らす猫に会うことはかねてからの念願だった。
心配していた天気は上々で気温も20℃ほど。猫は絵に描いたような閩南様式の家でお昼寝している。
少し離れたところにはキジトラが。キンタマも立派だけど、ポンポンみたいな尻尾が可愛らしい。
ちょっと痩せちゃって痛々しいけど、お店の人が反応しているから、もう少しで美味しいお肉が出てくると思うよ。
時刻は16時をすぎ、夕方になるにつれて雲が厚くて暗くなってきた。猫たちはそろそろお昼寝から覚めるころ?
車の下へ避難した茶トラで今日のところはおしまい。帰国してから休む間もなく仕事に復帰したので、写真を整理する暇もなく、今回の猫旅で何匹会えたのかとか、何回ぐらいの連載になるのかなど、まだまったく分からない状態だ。多少は紀行文的要素も取り入れたいと思っているので、次回掲載まで少し間が開くかも知れない。