限られた猫旅のスケジュールの中で、三度目にもなる枋寮を散歩コースに選んだ理由の一つは、未だ印象に残る3匹の猫に再会したかったからだ。初めて枋寮を訪れたのは2017年1月の猫旅で、この時は台北を起点に2泊3日で台湾本島を一周しており、前泊地の花蓮から玉里、池上、關山と散歩したのち台東から普快車に乗って枋寮に投宿した。1月という台湾では冷涼な時期だったせいか、翌朝の散歩では19匹の猫に遭遇し、中でもとりわけ友好的だったのは茶トラ白の子猫と海岸通りの黒白だった。茶トラ白の子猫にはその翌年にも再会しており、こちらは感激のあまり「元気だったかー」と駆け寄るなどしたものの、あちらはすっかり大人になっていて反応は冷淡だった。海岸通りの黒白は特に懐いてくれて動画も撮った。一通り遊んだあと、PM2.5で霞む道端に佇んだまま、立ち去る俺を見えなくなるまで眺めていた姿が今でも瞼に焼き付いている(こちら)。再会したかった猫のもう1匹は中山路沿いのドリンクスタンドで暮らすまだらの黒白で、会ったのは2018年1月の一度きりだが、Googleストリートビューに写っており、少なくとも2019年5月までは元気にしていたことが分かる。しかし今回の枋寮散歩はコロナを挟んで5年以上が経過しており、残念ながら3匹とも再会することは叶わなかった。
さて、猫の方は前回に続いて猫旅3日目(3月21日)朝の枋寮から。通勤通学で交通量の増えた路地を道端のキジ白が眺めていた。
じっと見つめているので人懐っこい子だと思って近寄ったら、建物の奥へ逃げてしまった。何だよー。
通りの向こうに展開する魚市場は前回来た時には存在しなかったが、どうやら人懐っこい黒白がねぐらにしていたのはあの辺りのようだった。ああなっちゃうと、たとえ元気にしていたとしても見つけるのは難しいよなあ……。
iPhoneの画面にはポケトークの隣ににゃんトークのアイコンが並んでいるけど、にゃんトークは俺の言うことを猫語に訳してはくれない。
おこぼれを待っているらしき三毛。漁港に猫がわんさかいるのはどこの国も同じだな。
漁港をあとにして中山路のドリンクスタンドにも行ってみたが、開店前だったため人の気配も猫の気配も感じられず、枋寮で見かけたのは次の猫が最後となった。
枋寮〜大武を結ぶ國光客運1778路は1日2往復の運転で、枋寮8:30発を逃すと次は14:00まで来ない。
このバスで中央山脈の南端を越え台東県に入ると、そこは山また山の人口希薄地帯で、達仁郷に属する小さな集落が省道沿いにぽつぽつと展開している。達仁郷は306km²に3,500人ほどが暮らす山間の郷で、郷公所(村役場)の掲げる「自然原始風貌、傳統的排灣族文化」というキャッチフレーズの通り住民の大半を排湾族が占めている。
枋寮から1時間20分で到達するのは森永という集落で、中国語圏や排湾語圏としては風変わりなこの地名は日本の森永製菓が由来になっている。日本統治時代、カカオやキナ(キニーネの原材料となる樹木)の栽培を試みてこの地を開墾したのが当時の森永星奈園株式會社だったというわけである。栽培はあまり上手く行かなかったらしく、そうこうしているうちに終戦を迎えたので森永で暮らしていた日本人や台湾人は引き上げてしまい、その後の1953年、大古という険阻な山中で暮らしていた排湾族の支族がここへ移住してきて現在に至る。したがって現在森永で暮らす人々に森永製菓との関わりはなく、会話する機会があったとしても昔の話は聞けないかも知れないが、日本人として一度は訪れてみたい場所の一つだったので今回の猫旅にねじ込んだ。
この日枋寮を出発したあとは森永、安朔と進み、最終的には宿泊地の金崙へと、排湾族の集落を渡り歩くような旅程を組んでいる。内容的にも体力的にも今回の猫旅の要になるはずで、長いバスの車中では充分に休憩して備えておく必要があった。次回からは散歩の舞台が屏東県から台東県に移る。