以前読んだ「台湾鉄路千公里」によれば、筆者の宮脇俊三は阿里山の呉鳳旅社という怪しい宿で一夜を過ごす。以前の記事でも少し触れたが、旅社というのは台湾における宿泊施設の一分類で、日本で近いものといえば駅前や街道筋の商人宿がそれに相当するだろうか。宮脇さんが嘉義のダフ屋から買い求めた宿泊券には玉山賓館の名称が書かれていたそうだが、それは当時の阿里山ガイドマップにも存在を無視されていた安宿群の総称だったのだろう。
台湾の経済成長や近年のインバウンド政策などにより、設備が老朽化・陳腐化した旅社は次々にリニューアルし、その際に古めかしい旅社の名を捨て去るケースが多いようだ。例えば俺がいつも利用している瑞芳の清芳民宿などもかつては清芳旅社と称し、金瓜石や九份で働く鉱山労働者や商人を当て込んでいたらしい。今は民宿の名に相応しい設備を持っているが予約はやや取りにくい。
台湾の民宿はFacebookやLINEで予約を受け付けるケースが多いが、旅社はウェブサイトやメールアドレスすらないところが大半だ。宿泊料金は500〜800元程度とかなり安い反面、予約するには直接電話するほかないので、台湾華語が話せない俺のような人間にはむしろ敷居が高い。今回の猫旅ではそんな旅社に一度は泊まってみようと思い、たまたま枋寮の中山路沿いに江南旅社というのがあるのを知っていたので、予約なしで飛び込んでみることにした。これは何も怖いもの見たさでそうしたわけではなく、俺の知らない1980〜1990年代の台湾の雰囲気に触れてみたかったからでもあり、コインランドリーが近いという現実的な理由もあった。
19時半前に枋寮に到着し、駅前の猫と少し戯れたのち、目的の宿にたどり着いたのは15分後。真っ赤な看板を煌々と輝かせた「江南旅社」は確かに営業中で、そのエントランスでは女主人と思しき人が忙しそうに立ち回っていた。ここには香雞排とか鹹酥雞といった定番の小吃を出す屋台があり、旅社と兼業で商売しているらしかった。人だかりに割って入るのは少し気後れしたが、早いところ夕食や洗濯を済ませて疲れた体を休めたい。女主人に今晩はと声をかけ、「今天有空房嗎?」と書いたメモ帳を見せると、カウンターを指差して中に入るよう促してくれた。交渉は極めて短時間で終わり、冷房とバストイレ付きの雙人房が1泊800元でまとまった。宿泊名簿どころかパスポートの確認もなく、現金と引き換えに部屋の鍵を受け取るだけの簡単な儀式だった。
鉄筋コンクリート造の建物は築50〜60年といったところで、内装も基本的には当時のままのようだった。冷房は使わなかったので動くかどうか確認しなかったが、心配していたシャワーの湯量はかなり豊富で、途中で冷たくなることもなかった(ただし朝はボイラーを止めたらしくぬるかった)。辛かったのは超ハードと言うべきベッドの硬さで、腰痛を抱えて旅している身にはかなり堪えたが、これは好みの問題でもあるからほかの人がどう感じるかは分からない。
翌3月21日は台湾猫旅の3日目(前回の記事はこちら)。よく眠れないままiPhoneのアラームに叩き起こされ、宿を出発したのは6:25。この日の枋寮の日の出時刻は6:01で、すでに空は明るく好天であることは分かったが、猫たちが起き出すには少し早かったかも知れない。
瞬時に逃亡したキジ白の次は三毛。早起きさんがいてくれて助かるね。
南国美人の三花小姐。指で挨拶しようとしたらやっぱり逃げられた。
次の猫もほどなく発見。トラックに乗っかって周囲を眺めていた。
どうやら自分がロックオンされているらしいと気づいて身を固くしたところ。
毛色はキジと茶色の二毛、いわゆる麦わらだと思うけど、薄く見えるのはティッピングが生じているからだろうか。
海岸通りに出てみると、煉瓦塀のたもとにサビがいた。台湾ってサビが多い印象。
ここまで来ると3月でも20℃を割り込むことはあまりない。猫にとっては過ごしやすい土地だろうなあ。
俺のような人間が現れることも滅多にないはず。予想外の展開に怪訝そうな表情。
この毛色、中国語では玳瑁と呼んでいるみたい。日本でも同じ意味の「べっ甲」と呼ぶ人がいるね。
サビの路地を抜けて再び海岸通りへ向かっていると、行く手に猫が見えてきた。
帆布の車庫に乗っかっていたのは若い茶トラ。背後の木ががさがさ言っていて落ち着かないみたい。
裏に回ってみると、飼い主と思しき婆さんがマンゴーの実をもいでいた。5分ほど頑張ってみたものの茶トラにはこれ以上近寄れず、諦めてさらに海岸通りを北へ進んだ。枋寮には再会したい猫が3匹いるのだった(続く)。