台北、台南、台東があるのだから、きっと台西もあるはずだと確信したのはいつのことだったか。はっきりと思い出せないが、台湾のことなどほとんど知らない高校生のころだったかも知れない。当時はろくに授業にも出ないで楽器を吹くか麻雀するかの生活で、字牌のような地名だなと思って自宅のブリタニカを見たら、東南北と中はあったが、西と白と発は載っていなかったように思う。今になって考えれば、その意味では浦和の方が強力なんだけれども、当時まだ埼京線は開業していなかった。
台湾猫旅の4日目(11月15日)、新竹市から始まった猫探しは、お昼すぎには牡蠣の産地として名高い雲林県台西郷へ移動。街中に山積みになっている牡蠣殻は、食べるなり加工するなりして出たゴミだと思っていたら、牡蠣の養殖に再利用されているという(前回の記事参照)。集められた貝殻に穴を開け、紐を通したものを日本では採苗連、台湾では寄蚵苗と呼び、どちらの国でも人間の手で一つ一つ作られている。
時には猫の手も借りるらしいけどね。
「你好、こんにちは」と日本語を交えてカメラを示すと、こちらの素性と意図を察してくれたようだ。二人の小姐はにこやかに作業を続け、猫は尻尾を立ててやってきた。
すごいな、尻尾が立ちすぎて反ってる。よほど人懐っこい子なのかな。
こんにちは、私は日本の猫好きです。写真を撮らせてくださいな。
大きな廟は鹽埔鎮海宮といい、巡海元帥と媽祖様が祀られているそうだ。猫が遊ぶには広すぎるかと思ったが、隅っこの方で丸くなっているのが見えた。遠すぎてこの写真じゃ分かんないかな。
雲林県は低地が多く、雨が降って浸水するとなかなか水が捌けないので、用水路とは別に、こうした排水路が縦横に張り巡らされている。落ちたら二度と這い上がれないので、これ以上近寄らないでおこうか。
時刻は13時半になり、バスの発車まであと40分。頼みの牡蠣料理店が見当たらないので、お昼ご飯を食べずに歩き回っていたが、そろそろお腹が空いてきた。最悪コンビニで何か買えればそれでいいと思い、街なかへ戻ってくると、日陰に2匹の猫が佇んでいた。
近寄ったら警戒して身を低くした。俺が食べたいのは牡蠣であって君じゃないから安心して。
クールな茶トラは呆れたようにこちらを眺めている。つまんないジョークで済みませんね。
桶の下のキジトラはご飯中のようだ。黒白は順番を待っているのかな。
台西最後の猫は、限りなく黒に近いブラックスモーク。中国語では(たぶん台湾華語でも)そのまんま黒煙色というそうだ。
この街は君の仲間がたくさんいたので楽しかったよ。ありがとうね。
結局、牡蠣料理は食べられず、民族路のセブンイレブンで鴨肉サンドやバナナを買い込み、強い日差しの下でバスを待つ。台湾のバスは手を上げないと止まってくれないので、日陰で休むということができず、この10分間は暑くて辛かった。しかも気を抜いた瞬間に通り過ぎてしまい、全力で追いかける羽目になって死ぬかと思った。
かつてはこの街にも台湾糖業鉄路の駅があり、旅客輸送も行っていたらしいが、とうの昔に廃止され、今は台西客運のバスがその代わりを務めている。糖鉄の路線のごく一部は現在も残っていて、冬の収穫期だけサトウキビ列車が走っているのは2018年1月の猫旅で紹介した通り(こちら)。線路端で出会った猫たちは記憶に新しい。
糖鉄の後を継いだ台西客運は、雲林県中西部にきめ細かな路線網を持つが、大部分が閑散路線で運転本数も少なく、旅行者には使いにくい。その中でも抜きん出て充実しているのが四湖〜台西〜台中を結ぶ9016系統で、日中1時間毎の運行はむしろ過剰サービスではないかと心配になるくらいだ。この日の宿泊地は台南で、いずれどこかの鉄道駅に出なければならないが、9016でそのまま台中へ向かったのでは、2時間40分もかかって日が暮れてしまう。遠回りにならない程度に、もう一箇所どこかで猫散歩しようと考えた結果、2018年1月にも訪れた西螺に決めた。このバスなら1時間で連れて行ってくれるからちょうど良かった(続く)。